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地球規模で生物多様性保全を強力に推進するCEPFパトリシア・ズリタ事務局長来日インタビュー Vol.1

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2014年10月、CIも共同出資する生物多様性保全のための国際基金である、「クリティカル・エコシステム・パートナーシップ基金 (CEPF) 」のパトリシア・ズリタ事務局長が来日しました。 ズリタ局長は2010年3月にCEPF事務局長に就任して以来、これまで5年近くに渡ってCEPFの運営を率いてきました。本年12月末をもって退任し、 国際環境NGOバードライフ・インターナショナル (本部: 英国ケンブリッジ) のCEOに就任することが決定しています。引継業務で慌しい中、1週間ほどの日程で何度目かの日本を訪れました。世界中の会議に飛び回る合間を見つけて、CEPFの今後や日本への思いなどを語ってもらいました。
-まず、簡単にCEPFでのこれまでのことを教えてください。CEPFに来たのはいつですか?
パトリシア:「ほぼ5年ぐらい前ですね。」
-CEPFのトップとして5年間、どのようなことを達成してきましたか?

パ:「私が2010年3月に着任した頃のCEPFは、既に確立されていて、第2フェーズの半ばでした。CEPFは2000年に、世界銀行とCI、そして地球環境ファシリティ (GEF) の3組織によって設立されました。設立当初の最重要課題として、市民組織に対する世界銀行やGEFのような大規模なドナー(資金援助機関)のアクセスをいかに確保するか、ということがありました。このような大規模ドナーの資金提供プロセスは、非常にややこしいことが多く、それをどう克服するか、ということです。CEPFは、途上国で活動する現地の市民社会団体などを、これらの大規模ドナーと結びつける、というニーズに答えるために設立されました。CEPFは、資金提供メカニズムとしての機能だけでなく、市民社会団体のキャパシティ構築を実施する機関としての側面も担っています。」


―市民社会団体のキャパシティ構築とは?

パ:「CEPFには2つの大きな柱があります。1つは生物多様性ホットスポット保全のための活動を支援するというもの。地球上で最も重要な生態系システムの保全を推進します。そしてもう1つは、市民社会団体の活動を支援するというもの。途上国に多く存在するホットスポットの傍で生活し、その保全活動に直接的に関与している現地の市民社会団体らとともに活動し、そうした団体の可能性を引き出していくのです。この2つの柱はどちらも重要です。 そして、20…

現役大学生が聞く”CIジャパンスタッフの「世界を舞台に働くとは」” 第2回目 名取 洋司 vol.3

名取さんの大学・大学院生活を通してどのように”今の仕事”につながっていくのでしょうか?

生態学+環境心理学の研究木勢:アルバイト経験以外に、例えば…..趣味とかはありましたか?
名取:読書に時間がかかる人で、だいたい教科書読むので日が終わっていたのです(汗)。もうちょっと別のこともやればよかったのですけどね。地学のGeology Museumでボランティアして、ワイオミングなどから取ってきた石というか土の固まりから、恐竜の骨の化石をピンセットやナイフを使って慎重に取り出していました。おもしろかったですよ。そういうこつこつとしたのが好きなんです。
木勢:何はともあれ充実した生活を過ごされていたのですね。ということは、学部生から博士号までずっとアメリカにいたということでしょうか?
名取:夏休みに日本に帰ってきていました。授業のある春・秋学期の時はアメリカに行って、5月の終わりから8月いっぱいと年末年始は日本に戻っていました。このサイクルをおよそ10年続けていました。
木勢:それでは研究テーマも日本に関わるものだったのでしょうか。具体的にどのようなものでしたか?
名取:出身の「中郷村の環境基本計画作り」が、修士のテーマでした。博士論文の時は、中郷村を含む5市町村からなる広域の環境基本計画に関係付けながら、景観生態学の研究をしました。土地利用・被覆の変遷だとかを空中写真から調べて、その変化が生物と人の意識に与えた影響を検証するという、生態学+環境心理学の研究でした。今の仕事でも深く関わっていますが、SATOYAMAを研究していたのです。
木勢:長い大学時代を振り返っていかがですか。
名取:アメリカに行ってよかったのは、糸の切れたタコになれたので、専攻もいろいろ試せたからおもしろかったことです。時間が戻ったとしてもアメリカ行くっていう選択をやっていたかなぁ。日本の大学も知りたかったけどね。どこでというより何をやるかだと思います。
木勢:そして大学院ご卒業後はどうしていましたか?
名取:修士を終えて日本に帰ってきて、自然環境研究センターに研究員として就職しました。在職中に1年間、環境省の野生生物課に出向していました。自然環境研究センターでは、保護地域管理や環境保全計画に関する案件に関わっていました。国際会議のオーガナイズをしたり、海外の会議に参加したりってことも。秋の紅葉のころに一日山の中で、シ…

現役大学生が聞く”CIジャパンスタッフの「世界を舞台に働くとは」” 第2回目 名取 洋司 vol.2

vol.1 では、名取さんの日々のお仕事内容について伺いました。さてここからは、名取さんの青年時代にクローズアップ。どのような経験をしてきたのでしょうか.....??


「じゃぁ、アメリカ行きます」
木勢:それでは名取さんの大学時代について伺いたいと思います!
名取:大学はウィスコンシン大学マディソン校に通いました。卒業後も修士号、博士号
   まで同じ大学で取得しました。大学入学当初は天文学をやっていました。天文学
   のために留学したのです。そもそもそうしたいと考えたきっかけは、1986年のハ
   レーすい星です。その時に天文学に関心を持ちました。それより以前は筑波万博
   の東芝館に刺激されて工学系のことに興味がありました。「天文学をやりたい」
   と高校の地学の先生に聞いたら、「日本の大学にいても結構アメリカに行って研
   究している人が多いよ」と言われたので、「じゃあアメリカ行きます」って、高
   校生の時の浅はかな考えですよ(笑)。どうせ行くのだったら初めから行っちゃえば
     いいかなって。
国内で専攻として天文学があるのは数えるほどしかなかったけど、
   海外を見ると結構あるので、海外大学進学の方向がいいのではないかと。       こういうわけで、天文学を専攻したくてアメリカのウィスコンシン大学マディ
      ソン校に進学したわけですが、ウィスコンシン州は環境学や環境問題に関する政
      治的な活動も活発なところ
ですぐに影響を受けました。大学2年生のころに書いた
      知床伐採問題に関する論文をきっかけに、環境学の方向にも進み始めていて、大
      学3年生のころから環境学の専攻も始めました。Honors Programに入っていたので
      すけど、そのディレクターが以前、※1 新潟にあるサザン・イリノイ大学にいた
      ということで、同郷感を持っていました。その人に紹介されたことが大きな原因
      で環境学(Biological Aspects of Conservation Major) をはじめました。4年の時に知
      床の調査をするための奨学金をもらって、2週間毎木調査をしました。修士の時
      も「保全生物学と持続可能な開発」というプログラムを専攻しました。経路とし
      ては物理、数学系できて、生態学が生物…